アンネを記念したバラ

「アンネの日記」の作者、ドイツ生まれのユダヤ人少女アンネ・フランクは、2年1ヶ月のアムステルダムでの隠れ家生活の後、ナチスに捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所などに入れられました。
1945年3月、アンネは15才9ヶ月の生涯を、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスの病気のために終えました。
家族の中でただ一人生き延び、アンネの無事を祈りながら帰りを待っていた父、オットー・フランクさんに、ベルギーの園芸家デルフォルヘさんから、アンネを偲んで「アンネ・フランクの形見」と名付けられた新種のバラが贈られました。オットーさんはそのバラをスイスの自宅の庭で育てていました。




オットー・フランクさんとの出会い

1971年4月4日、ホロコースト記念館の大塚信館長が所属していた合唱団とオットー・フランクさんとの運命的な出会いがありました。その後、親交が深められ、1972年のクリスマスに、10株のバラの苗が贈られて来ました。それがアンネ・フランクの形見だったのです。その内、1株だけが京都で根づき、翌春、日本で初めて花を咲かせました。1975年、オットーさんから再び10株の苗木が届きました。それらは、現在、接ぎ木によって株が増やされ、アンネが願っていた平和を願うシンボルとして、日本各地で美しく咲き薫っています。





アンネのバラ園

1995年6月、アンネやオットーさんの平和への願いを受け継いで、ホロコースト記念館が開館しました。2007年に建設された新館にはアンネのバラ園が造られ、約50株のアンネのバラが植えられています。
オットーさんが心を込めて育て、日本に贈ってくださったアンネのバラは、40年の間、接ぎ木で増やされ、多くの人に愛され育てられてきました。ホロコースト記念館でも毎冬、子どもたちのボランティアグループ「Small Hands」が中心となって接ぎ木が行われ、増やした株を、アンネやホロコースト、平和について学びたいと願われる学校や団体に贈呈しています。2002年1月には20株のバラが、スイスのバーゼルにあるアンネ・フランク財団に贈呈され里帰りしました。
オットーさんから託された平和への思いのバトンが、いまアンネのバラを通して日本各地に、そして世界中に届いています。







アンネ・フランク形見のバラ
原名:Souvenir d'Anne Frank
出年:1955年(発表1960年)
作出者:ベルギーの園芸家 ヒッポリテ・デルフォルヘ
バラの母親はレーブ・ド・カプリ、父親がシャントクレアという品種で、8年という歳月をかけて作出されたと言われています。フロリバンダ種で花型は丸弁盃状咲き。花は変色する性質を持っていて、蕾のときは赤色。開花するとオレンジ色に黄色がかった黄金色で、次第に花弁の先からサーモンピンクに変色し、さらに濃くなり赤色に近くなります。四季を通じて咲き、5〜8輪の房咲きです。


ホロコースト記念館では、アンネのバラを、アンネやホロコーストの学びを通して、平和学習に用いることを希望する学校や団体に贈呈しています。詳しいお問い合わせは、記念館までご連絡ください。


開館日 毎週 火、水、木、金、土 10:30~16:30 入場無料
休館日 日、月、祝日、8/13~16、12/27~1/5
団体は予約が要ります。